本物の米と自然が豊かな東郷地区について
1.北陸の厳しい冬から生まれる『養分たっぷりの雪解け水』
米作りを行う東郷地区は北陸の福井県でも有名な自然溢れる地域。
冬には一面の美しい銀世界に変わります。
東郷地区の周辺にはたくさんの山々が存在し、冬の時期に多くの積雪があり、その山々も真っ白に染まります。
美しい米づくりには欠かせない「清らかな水」はその雪解け水が全ての始まりなのです。
2.東郷地区の肥沃な土壌はお米づくり最適な『奇跡の環境』
米づくりの基礎となる水田。
一見同じように見えるその水田にも大きな違いがあることをご存知でしょうか?
水田は水を張って農作物を栽培できるようにした耕地のことを意味しますが、その耕地の「土壌」の違いが美味しさを決定づけます。
一般的な水田(湿田)は常に湿った状態にあります。
東郷地区に流れ込む美しい川、足羽川の源流になるその「雪解け水」は、山の頂上からゆっくりゆっくりとながれてくる間に山々の木の葉などで形成された、大自然の養分たっぷりの腐葉土から栄養を分けてもらいながら、東郷地区に豊富に流れ込んできます。
美味しい米づくりには養分たっぷりで清らかな水は欠かすことができません。
米を作るということだけを考えると、それだけで充分ですが、一般的な水田では水はけが悪いため、水が滞留し続けることで、稲の根に根腐れが生じる等、稲穂に十分な栄養を与えることができません。
東郷地区の土壌は福井県三大河川の一つ、足羽川流域に位置し、「沖積土壌(ちゅうせきどじょう)」と呼ばれ耕作土の下は砂や砂利層で形成されています。
砂利層はとても水はけが良く、美しい水は絶えず地中に垂直に排水されます。
常時新鮮な水が流れ込むことで、丈夫な根が土中深く入り、更に養分たっぷりの雪解け水が運ばれてくるので東郷地区は米づくりにとって最高の環境だと言えます。
3.新潟の魚沼市など米の名産地に吹く『特有の風』
東郷地区には「あらし」と呼ばれる「川風」が吹きます。
川風は水田の地表、稲穂の間を通り抜け、米づくり真っ最中の暑い季節に日中と夜間で大きな寒暖差を生じさせます。
その大きな寒暖差が、土中の豊富な養分を根から稲の実(米)に移行するのに最も大きく作用します。だから美味しい東郷米になるのです。
川風が吹かない地域の水田では大きな寒暖の差が生じにくく、重たく、湿った空気が滞留し、根から米への養分以降に悪影響を及ぼします。
新潟の魚沼市などの米の名産地と呼ばれるところにしか吹かない「あらし」。
それらの地域と同じような環境で作られる東郷米は大自然の恵みを受けて美味しく育ちます。
日本を代表するお米・コシヒカリ。その歴史は、戦時中の昭和19年に遡ります。
いもち病に強く、収穫期の籾の色が良い「農林22号」と、戦前の主力品種であり、収量が多く、品質と食味が良かった「農林1号」、その両方の長所を併せ持つ品種の育成を目的に交配が行われました。
昭和23年に、その雑種第三代、農林省直轄の長岡農事改良実験所が選抜した65株のうち、20株が福井農事改良実験所に引き継がれ、育成が続けられました。
しかし、その年の6月28日、福井県はマグニチュード7.1の地震に見舞われます。福井大震災です。福井農事改良実験所の試験田の多くで、液状化や用水路破壊の影響により試験の継続が困難となる中、20株は、幸運にも被害を免れました。
コシヒカリ育成の舞台となったのが、福井県農事試験場(昭和26年に福井農事改良実験所から育種事業を移管)です。当時は福井市の松本にありました。後の「コシヒカリ」につながる20株が震災の被害を免れることができたのは、この松本の地が水持ちの良い田んぼだったためです。この試験場で、当時の所長・岡田正憲氏や、石墨慶一郎氏らの手により、育成が続けられていきます。福井県農事試験場跡地には現在、記念碑が建てられ、当時を偲ばせています。
戦争、災害、波乱に満ちたコシヒカリの草創の地です。
東郷地区は、福井市街から約9キロの南東部に位置し、東の御茸山から南西方向に、槙山や文殊山が連なる山並と、北の足羽川の清流が流れる扇状地に、豊かな田園が広がる、静かなふるさとの風景となっています。
東郷地区の沿革は、御茸山を中心とした古墳時代に始まり、奈良時代より荘園として開拓され、室町時代には、東郷荘として、京都の貴族一条・九条両家によって領せられました。
その後、朝倉時代には、越前の国東郷城(現在は槙山城と呼ばれる)を中心に城下町を形成し、江戸時代には、大野街道、東郷街道の宿場町、在郷町として発展しました。
現在も町の中央に、当時の面影を残して水路が流れています。明治に入り、明治22年(1899)東郷村、酒生村など六ヶ村が発足し、昭和30年4月、文殊など5ヶ村と東郷村が合併して足羽村となり、昭和35年、足羽町を経て、昭和46年9月1日に福井市に合併しました。
合併後、ハード整備として、宿泊施設も完備された福井市少年自然の家が、昭和56年7月にオープンされ、また、福井市東体育館が平成4年8月に完成されました。
また、歴史遺産である「槙山」に、休憩所、簡易水洗トイレも完成し、平成12年11月に遊具が新設されました。
なお、平成10年10月に県営水環境整備事業で整備された堂田川(徳光用水)が、新しい親水路となり、「槙山」と続く、ふるさと散策コースとして、広く利用されています。
(東郷公民館ホームページ 東郷地区の沿革より)
福井県福井市浄教寺にある足羽川の支流一乗谷川の滝です。落差が12メートルあります。
戦国時代に一乗谷城を中心に越前国を支配した戦国大名朝倉氏の遺跡です。
市内有数の観光地「一乗谷朝倉氏遺跡」の玄関口です。お土産も購入できます。
岩を積み上げたロックフィル式ダムの建設によってできた人造湖で、春には1万本の桜が咲き誇ります。
1.周辺から使用禁止資材が飛来し又は流入しないように必要な措置を講じている
2.播種又は植付け前、2年以上化学肥料や化学合成農薬を使用しない
3.組換えDNA技術の利用や放射線照射を行わない農産物
また、福井の認証制度における特別栽培農産物(区分1)では、無農薬栽培農産物を以下のように定義しています。
1.栽培期間中に農薬を使用しない
2.栽培期間中に化学肥料(窒素成分)を使用しない農産物のこと
説明すると米の場合は前年の収穫直後から今年の収穫するまでの1年間使用しない。
野菜の場合は種まきしてから収穫までの短期間のものは1ヶ月~3ヶ月位の栽培期間のみ使用しなければ可能です。
福井平野が山麓地帯より開ける東郷地区は、福井市の中心を流れる足羽川上流の川沿いに位置し、水や空気が清くたいへん肥沃な田園地帯です。
十数種類の魚が生息する自然豊かな風土が私たちの米作りを支えています。
足羽川流域に生息している魚
アブラハヤ、カマツカ、アユ、ギンブナ、コイ、オイカワ、タモロコ、カジカ、タイリクバラタナゴ、ヤリタナゴ、オオヨシノボリ、トウヨシノボリ、メダカ、ドンコ、カワムツA、カワムツB
(足羽川堰堤土地改良委員会、足羽川頭首工地域用水対策協議会、足羽川地区生態系調査整備計画検討委員会の資料より)
タナカ農産の田んぼには毎年たくさんの野鳥が飛来します。
野鳥の餌となるタニシやドジョウが田んぼに生息している為です。
水中の虫やドジョウがいると言う事は農薬ゼロの証。
野鳥はいわば、タナカ農産の安全・安心の象徴なのです。
野鳥がやってきて、餌を食べる様子を私たちは誇らしげに眺めています。
日本の懐かしい風景が、今日も東郷地域に広がっています。
・田には清流が常時入り、下が砂利層のため水は絶えず垂直に排水されます。湿田等のたまり水とは異なる清水で生息するので、根も深く張り、健康な丈夫な稲が育ちます。
・田にはいる水(用水)と田から出す水(排水)は水路が完全に区別されているので、ほかの田の水による影響を受けません。